Comment

マタイの福音書 20:1-16

マタイの福音書19:30-20:16を読みましょう。

マタイの福音書20:1-16で、私たちは主人が約束したようにそれぞれ同額の賃金を受け取った労務者について学びました。同様に、キリストを信じる者はすべて神さまが約束された賜物を受け取ります。つまり、罪からの義認(正しいと認められること)と永遠のいのちという相続財産です。以下はJ.I.パッカーの義認に関するキリスト教の教理からの定義です。

「義認とは、罪人(邪悪で不敬虔な者)を赦す神の法的な行為であり(ローマ4:5、3:9-24)、彼らを義と認められた者として受け入れ、以前は神から離されていた彼らと神ご自身との関係を永遠に正しいものとする。この義と認められる宣告は神が与える義の賜物であり(ローマ5:15-17)、キリストのゆえに神が私たちを受け入れてくださっているという立場を与えるものである(第二コリント5:21)」

以下の義認に関する聖書箇所を読みましょう。

ローマ人へ手紙3:21-26

ローマ人へ手紙5:15-19

コリント人への手紙第二5:21

ピリピ人への手紙3:8-9

以下の質問に答えながら、上記の聖書箇所で見た真理を要約しましょう。

  • すべての信じる者は、どんな賜物を受け取ったでしょうか?

  • イエスへの信仰を通して、私たちは自分のどの罪から義とされたでしょうか?

  • あるクリスチャンがほかのクリスチャンよりもより義と認められている(より正しい)ということはあるでしょうか?

Q1. この真理にあなたはどのように反応しますか?神さまの義を受け取るべきでないと感じるなにかがありますか?


Q2. 悔い改めてキリストに信仰を持つ連続殺人犯や人身売買者と同等に自分は義である(正しい)と知ることは、どんな感じがしますか?

Q3. あなたも神さまの義(私たちが想像することのできるもっとも高尚な義)を持っていると知ることは、あなたにどんなことを考えさせますか?

信仰にあってより成熟しているようにみえるクリスチャンに関してはどうでしょうか?私たちのすべてが神さまの義を受け取っている一方で、ある人たちはほかの人たちよりも聖化(聖い/清い)されています。義認とは、神の御前で私たちが義と認められて立っているということです。つまり、私たちは無罪であると宣言されているのです。聖化とは、イエスのように神聖にされて、イエスの品性や生き方により似ていくようにされていく現行の過程のことです。義認とは、私たちがクリスチャンとして生まれ変わるときに起こることで、聖化とは、私たちの成長のことです。

Add a comment

Email again: