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マタイの福音書 14:13-21

マタイの福音書14:13-21を読みましょう 

以下はイエスのアイデンティティについてこの奇跡が証ししている3つの事柄です。 

  1.  イエスは思いやり深い創造主である  
書はすべての創造物はイエスを通して造られたと教えています  

ヨハネの福音書1:3はイエスについてこう語ります  

すべてのものは、この方によって造られたもので、この方によにできたものは一つもない。 

すべてのものはイエスによって造られただけでなく、イエスのために造られました。   コロサイ人への手紙1:16   なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 

イエスが備えている神の子としての創造の力は、私たちの理解を超える力です。神学者J.I. パッカーは、ex nihili(「なにもないところから」)創造する神の力について以下のように書いています。 

「初めに、神が天と地を創造した」(創世1・1)。神は創造のわざを命令によって、先在するいかなる物質もなしに行われた。存在するようになれという神の決意(「……が、あれ」)によって、それらのものは存在するようになり、神の意志に依存しながらも神ご自身とは区別される存在として、秩序をもって形作られた。父、子、聖霊はともに創造のわざにかかわっていた(創世1・2、詩篇33・6、9、148・5、ヨハネ1・1~3、コロサイ1・15~16、ヘブル1・2、11・3)。注意すべき点は次のとおりである。 「創造の行為は私たちにとって神秘的なものである」。そこには私たちが理解できる以上のものがある。私たちは命令によって物を造り出すことはできないし、神がいかにしてそれを行ったか知ることができない。神が「無からの創造」を行ったと言うことは、それが神秘であると告白することであり、それを説明することではない。特に、神に依存している存在がどのようにして神と区別される存在でありうるのか、また御使いと人間が神に依存した存在でありながらロボットではなく自由な決断のできる存在であり、それゆえに自分の決断について自らの創造主に対して申し開きをする道徳的責任があるということがどのようなことであるのか、私たちは理解することができない。しかし聖書は至る所で、これが現実であると私たちに教えている。 ... 神が私たちの住む世界を創造し、私たちもその一部として創造されたということを知ることは、真の宗教にとって不可欠なことである。神はそのみわざの驚くべき秩序と多様性と美しさのゆえに、創造主としてあがめられなければならない。詩篇104篇などの詩篇は、このような賛美の代表例である。(パッカー「聖書教理がわかる94章 キリスト教神学入門」P.36-38)  


2. イエスは神の民の羊飼いである 

マルコによる福音書には、イエスが「羊飼いのいない羊」のような群衆を「青草の上」に座らせた記述があります(マルコ6:34&39)。これは、主がご自身の民を羊飼いのように気にかけてくださっていることを思い出させてくれます(詩編23章)。イエスはご自身のことを、ヨハネの福音書10:11で「わたしは、良い牧者です」。 

質問:人生でイエスがあなたを導いた最近の出来事を思い出せますか? 


3. イエスはいのちのパンである 

ヨハネの福音書6章で、イエスは肉体を維持するためのパンを群衆に与えるだけでなく、イエスご自身が「いのちのパン」であると説明されました。ヨハネの福音書6:35「イエスは言われた。『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』」 

それ以外にも、マタイの福音書4:4でイエスは申命記を引用してこう言っています。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」 

質問:あなたはどのようにいのちのパン(イエス)である、日常的に必要な健康的で日常的な食生活を取り入れていますか?日々自分がどのようにして聖書や祈りを通してイエスで自分の魂を満たしているかほかの人たちとシェアしてください。

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